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盲ろうの門川さんと盲導犬の挑戦(上)


お好み書き読者で、2009年にウガンダで開かれた盲ろう世界大会リポートを本誌に寄せてくれた門川紳一郎さん(51)=視聴覚二重障害者福祉センター理事長=がこの春、盲導犬使用者(ユーザー)になった。門川さんが訓練を受けた公益財団法人日本盲導犬協会の話だと、全盲ろうの盲導犬ユーザーは現在、国内では門川さんだけだという。白杖や盲導犬を使って歩行する盲人は、踏みしめる足の感触から顔に感じる風や熱まで、全身で周囲の状況を把握しながら歩く。その中でも、耳から入る情報が遮断された盲ろう者の単独歩行は、非常に難しいと考えられてきた。その困難なチャレンジを成し遂げ、晴れて盲導犬ユーザーになった門川さんに、取得に至る経緯と盲導犬歩行の可能性について、犬との共同訓練中のメモなどを交えて、ご寄稿いただいた。2回にわけて掲載する。(編集部、写真は門田耕作撮影)


楽しく、風を切って自由に歩く! 門川紳一郎

「自由に歩きたい」。そう強く思うようになったのは、40代に入ってからだっただろうか。私は元々視力が弱く、小学校2年生のころから点字を使うようになった。そして歩行時は、白杖を使って単独で歩いていた。

ところが、私の目は視神経萎縮のため徐々に視野、視力が下がり始め、気がついた時には、ほとんど自由に歩くことが難しい状態になっていた。しかも、2010年の大阪駅大構築工事の後は、普段よく利用していた大阪駅がまったく利用できなくなってしまった。歩きたいルートを歩けなくなってしまうと、私の歩行の行動範囲も狭まってしまい、その結果精神的にもしんどくなっていった。


駅改築、行動範囲狭まる

また、当時、東京で開かれていた会議等に参加のため、月に2回から3回のペースで上京しなければならず、その度大変苦労したものだった。大阪駅を利用できないために、遠回りをして地下鉄の新大阪駅へ向かったり、時にはタクシーの配車を頼んだりしたこともある。遠回りすると時間もかかるし、タクシーを利用したい時は聞こえる人に頼んで電話をかけてもらわなければならない。大阪駅のことだけではない。視野、視力の低下に伴ってそれまでできていたことがだんだん難しくなってしまう。たとえば、暇を見つけては家の裏の土手をジョギングしていたことができなくなったり、プール通いができなくなったり。

このままでは行動範囲が狭くなっていくばかりではなく、運動不足にも陥ってしまう。元のように自由に歩いたり、走ったりしたい!その思いは日増しに強くなっていった。


犬に指示発話、自信なく

私が盲導犬を初めて見たのは、20代のころ、全米盲ろう者大会に参加したときだった。そこには盲導犬を伴った盲ろう者が参加していた。特に、イギリスから盲導犬ユーザーの盲ろう者が多数参加していたことは印象深かった。

しかし、当時の私は、盲導犬にはまったく興味がなかった。なぜならば、まだ自由に歩きまわるだけの保有視覚が残っていたし、それよりも、盲導犬には言葉で指示を伝えなければならないと思っていたからだ。私は4歳のころに失聴しているため、発話が明瞭ではない。犬に正しく指示が出せる自信がなかった。

しかし後になって、アメリカで知り合った友人のバピンが盲導犬ユーザーと知り、大変驚かされる。彼は生まれつきの全ろうで、発声ができない。しかも、彼は光も影も見えない。完全なる全盲ろうである。


"盲ろう導犬"の有効性

私は自分自身は盲導犬は必要ないと思っていた一方で、盲ろう者にとっての盲導犬の有効性について関心があり、自分なりに考えていたことがあった。「盲導犬をさらに訓練して、盲ろう導犬をつくってみることはできないのだろうか」といったことだ。

偶然にも2002年11月に大阪で開催された国際アシスタントドッグフォーラムにパネラーとして招いて頂き、盲ろう者にとっての盲導犬歩行の有効性について、自分の思いを発表したことがある。その内容を、当時のNPO法人日本アシスタントドッグ支援協会の機関誌に掲載してもらった。


チャレンジ強く訴え続け

個人差はあるが、視神経萎縮による視野、視力の低下が進むにつれ、何とか自由に歩く方法はないものか、真剣に考えるようになった。

そんな時にまず思い出したのがアメリカで知り合ったバピンのことだった。彼は全盲ろうにもかかわらず、盲導犬を使ってどこへでも行く。 彼の勇気ある行動には打たれ、学ぶことが多い。そんなバピンを日本に2度招聘している。特に昨年2015年11月の一般向け講演会では盲導犬同伴で来日、全盲ろう者の盲導犬歩行への関心が高まるきっかけとなったのではないだろうか。

ところが、残念なことに日本では盲ろう者が盲導犬を持つことにはまだ消極的で、特に私のようにまったく聞こえない盲ろう者の盲導犬使用者は全国に例がない。

そのような事情を知りながら、それでもあきらめることができない私は、アシスタンスドッグ支援協会等を通じて、盲ろう者への盲導犬歩行の実現に向けて取り組んでほしいことを要望してきた。そんな時に、私が一緒に活動している仲間が盲導犬ユーザーになったという話を聞いた。この人は弱視で難聴で、私とは障害の程度が全く違うが、彼からのアドバイスもあり、日本盲導犬協会(日盲)に相談をもちかけたのだった。2013年の真夏のころだったと記憶している。

日盲には私が盲導犬歩行にチャレンジしてみたいことを強く訴え続け、神奈川訓練センターでの1泊体験歩行にも参加させてもらった。1泊体験歩行では夜間歩行も体験できた。体験歩行では訓練士が後ろをついて歩きながら犬を管理していたが、体験を続けていく中で私の盲導犬歩行へのチャレンジ精神がますます強くなっていったと思う。


通訳・介助者、人材不足

盲ろう者の移動やコミュニケーションを支援するための行政の制度として、通訳・介助者派遣制度が全国で実施されている。白杖での単独歩行がむずかしいのであれば、通訳・介助者を利用すればよいではないかという声が聞こえてきそうだ。しかし、通訳・介助者派遣制度があっても、支援者となる人材が限られている。また、通訳・介助者の活動時間も、基本は9時から17時となっている。つまり、盲ろう者が本来利用したい時に利用できないことになる。通訳・介助者が来てくれるのを家でじっと待っていなければならないなんて、白杖で自由に単独歩行をしていた身にとっては、まるで拘置所に入れられたような気分にさせられる。

そこで考えてみたのが、盲導犬歩行へのチャレンジだった。犬を傍においていれば、ちょっと近所へ外出したい時、早朝の散歩など、気がねなくできる。日盲の神奈川訓練センターでの1泊体験歩行から間もなく、私は盲導犬との共同訓練を希望する旨の申請書を提出、再三の体験歩行や面接を経て、申請を受理していただくことができた。

盲導犬の訓練施設は全国に11カ所ある。その内、近畿は3カ所(大阪、兵庫、京都)。また、日盲は横浜の神奈川訓練センターのほかに三つの訓練センターを持っている(仙台、静岡、島根)。地元の大阪など、近畿での訓練ではなく、遠く神奈川の横浜になったのは、近畿などほとんどの訓練センターで、全く聞こえないユーザーを指導した前例がないために、受け入れに消極的だったと思う。

そんな時に、相談をもちかけた神奈川訓練センターが親身に相談に乗ってくれ、最終的には訓練の希望を受理してもらうことができた。申請受理からおよそ2年、今年の2月8日から共同訓練が始まることになった。(つづく)