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和太鼓クラブ。胸に迫る力強さ
        振動と背中から伝わるリズム
           ――中本 謙次さん


和太鼓のステージには、胸にグッと迫ってくる不思議な力強さがある。 バチを握っていたのは、「すまいる」の「和太鼓クラブ」の面々。 メンバー14人のうち、5人が盲ろう者だ。副理事長の中本謙次さんは 2012年1月から参加している。 「音が聞こえないので、これまで音楽をしようと思ったことはありませんでした。 まして、太鼓をたたこうなんて思ってもみなかったのですが、みんなから 勧められて参加。今ではとても楽しみにしている活動の一つです」


みんなで音を合わせるのは難しそうに思えてしまうが、太鼓を打つタイミングを どのようにしてとっているのだろう。 「もとになるのは8拍子のリズム。通訳者の方が背後に立ち、背中を手でたたいて もらいながら、チーム全体でリズムを合わせます。床からも太鼓の振動が伝わって きますが、それだけでは無理ですから。ずれないように・・・といつも気をつけながら 演奏していますね。普段、身体を動かすことも少ないので、和太鼓の練習はいい 運動にもなっていますよ」


昨年10月には、静岡で行われた「日本太鼓全国障害者大会」にも出場。 他の団体の演奏も、その振動で力強さを感じ取った。この大会で出会った人たちとは、 今もメールをやりとりするなどして連絡をとりあっているそうだ。 「私の場合は40歳を過ぎてから視力を失い、盲ろうとなりました。親に手を引かれて 歩くのを恥ずかしく感じて、それから家にひきこもるようになったんです。でも、 「すまいる」に来るようになって、話し相手や友達ができ、パソコン操作も覚え、 メールも使えるようになりました。そうしてるうちにだんだんとまた外に出ようと 思えるようになったんです」


以前から手話はできたが、6ヵ月かけて触手話も習得。より多くの人と自由に コミュニケーションができるようになったと感じている。 和太鼓クラブは12年目を迎えた。「仲間と一緒に演奏できるという点も 和太鼓の大きな魅力。これからも続けていきたい」と、中本さんは頬を緩めた。



盲ろう者、ろう者、健聴者、
   みんながいてできる「すまいる」の活動
           ――石塚 由美子さん


あなたは、盲ろう者は何も話さないし意思表示をしないから、おとなしくて無口 だと誤解をしていませんか?――「すまいる」の事務局長を務める石塚由美子さんは そう問いかける 「盲ろう者は、意見、意思、考え、それらすべてをもっているんですが、ただ表に 出せないだけなんです」。盲ろう者への理解のなさが結果的に、「盲ろう者は何も できないから私が代わりにしてあげる」という状況になっているのではないかと指摘する。 「そうではなく、彼らの話を聞く雰囲気をつくり、気持ちを引き出せるような環境を つくっていきたいんです」


にこやかな表情が印象的な石塚さんは、聴覚に障害がある。盲ろう者のサポートを 始めたのは、たまたま近所に住んでいた盲ろうの男性が、「まるで自分を見ているみたい だったから」と言う。最初はボランティアとして「大阪盲ろう者友の会」の活動に 参加するうちに、「友の会」スタッフとして働き、その後、「すまいる」の立ち上げを 手伝うことになった。「私は高校まではろう学校に通い、高校卒業後から一般の学校に 通ったのですが、そこで壁にぶつかりました。ろう学校にいた時は、耳が聞こえない者同士の 生活の中なので、困ることはあまりなかった。普通の学校に行って初めて、自分が障害者だと いう意識をもつようになりました。それまでは聞こえないというのは運命だというか、 あまり認識がなかったんですね。でも、普通の学校では一対一でないと話ができず、 友人たちの話の輪に入れず、寂しい思いをしましたね。わからなくても雰囲気を 壊さないようにみんなに合わせて笑うという虚しさも感じました。盲ろう者も人の輪に 入れなくてポツンとしている。その頃の私にとても似ているなと思ったんです」


石塚さんの仕事は、盲ろう者の気持ちや要望に耳を傾け、それを「すまいる」の 活動にどう取り入れるかを考えることだが、その他、ホームヘルパーやガイドヘルパーの 派遣の調整など、多岐にわたる。 「介助者の悩みを聞いたり、相談にのったりもします。誤解、行き違いが生じることも あるので、どんな小さなことであっても双方の言い分を聞いてすぐに解決するように 努めます。また、以前、スポーツジムへ行きたいというメンバーの通訳・介助の コーディネートをしたところ、ジムから入会を断られたことがありました。そんな時は ジムの経営者に連絡をとって交渉をするなど、社会への働きかけも仕事の一つです」


立ち上げてから10年、「すまいる」に来て仲間と出会い明るさを取り戻した人を、 石塚さんはもう何人も見てきた。 「聞こえない上に目が見えなくなった人、または聞こえていたのに同時に目と耳に障害を もつようになった人が多くいます。趣味もなくなって、生きる気持ちもなくして、家に 閉じこもる。それが「すまいる」に来て、自分一人じゃないとわかった時は、ウソの ようにみんな明るく変身をとげるんです。私がアドバイスしても、「あなたは目が見えるから、 見えなくて聞こえない苦しみはわからないでしょ」と返されてしまうことがありますが、 同じ盲ろう者の「自分も昔は大変だったけど、今はもう大丈夫」という一言を聞くだけで 気持ちがパッと変わるんです」


しかし、石塚さんだからこそ、サポートできることもある。「私の家族は全員健聴者で、 私だけが聞こえない。なので、ちょっとした情報が入らないことで冗談のおもしろさがわからず、 私ひとり笑えないこともある。だから、「すまいる」で健聴者の通訳者が盲ろう者に一所懸命に 情報提供をしても冗談がわからず笑わない時、その理由が私にはわかります。 また、和太鼓の練習では、ろう者や盲ろう者は、間、リズムにのってたたくんですが、 その間がなかなかつかめない。たたくだけではなく、実際に太鼓をたたかない間のリズムを 伝えることが大事なんです」 「でも」と石塚さんはつけ加える。「誰だからできるというわけでもなく、 健聴者がいて、ろう者がいて、盲ろう者がいて、みんながいるからできるんだなと いうことをよく感じます。以前は、私は耳が聞こえないから落ち込むこともあったのですが、 盲ろう者ががんばっている姿を見ると、勇気や元気をもらいます。 彼らの笑顔は私の喜び。これからも、みんなと一緒に、お互いが助け合ってやっていける世界を つくっていきたい」


言葉だけでない通訳。
   細かい情景も描写しながら性格に伝える
           ――藤井 明美さん


門川さんとは指点字を、石塚さんおは手話を使うなど、相手に適した コミュニケーション方法を使いわけて丁寧な通訳をしてくれたのは、「すまいる」 スタッフの藤井明美さん。


話者が直接的に表現することだけでなく、言わんとしていることも酌みながら 言葉を選ぶ作業を、瞬時に行う。それを終日に及んだ取材中、続けていただいた。

藤井さんはその技術をいったい、どのようにして身につけたのだろうか。 「私はたまたま友達になりたいなって思った人が、盲ろう者だったんです。その人と おしゃべりがしたくて指点字を勉強し始めました。そのうち、盲ろう者の集まりに 行くようになって、そのコミュニケーションのおもしろさにはまりました。 通訳者になりたかったからではないのですが、その場では仕事でないとはいえ、 通訳者の役割を担っていることを意識することが増えたのと、ちょうど通訳者を 養成しようという機運が高まっていたこともあって、そのまま通訳者の道へ進んだんです」


通訳するうえで必要なことは、言葉の正確さだけではないと藤井さんは考える。 「言葉だけを正確に伝えても、その雰囲気や状況がわからないと、誤解が生じたり、 人間関係に亀裂がはいるということがあります。たとえば「笑う」といっても、 微笑んでいるのかクスクス笑っているのか、苦笑しているのかなど、細かく情景を 描写するなどして全体的な情報が正確であることも意識しています」


当初は、伝えたいことがどうしても伝わらなくて悩んだことも多いと話す藤井さん。 「手話や指点字ができるから、通訳ができるというわけではないと思うんです。相手のことを より深いところまで理解しようとすることで、伝えられる何かがあるのかなと思います」 「すまいる」で働き始めて8年。「毎日、盲ろう者が集って、やりたいことをやって、 そのやりたいことをサポートする態勢があるなんて、日本でもここだけではないでしょうか。 盲ろう者がお互いに励まし合っている姿をみると、いいところで仕事をさせてもらっているなと 感じるんです」






NPO法人 視聴覚二重障害者福祉センターすまいる
視聴覚二重障害者(盲ろう者)が主体となって運営。福祉的就労や各種相談事業、 情報資料の収集・貸出、パソコンや料理などの生涯学習、各種クラブ活動、ホームヘルパー・ ガイドヘルパーの派遣などを行っている。