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「助けてほしい」声を上げた

目を覚まし、暗闇と静寂のなかで時計の針に触れ、時間を確かめる。 手探りで窓を開け、冷たい風と暖かい光を肌で感じ取る。 廊下から伝わる小さな振動が、みんなも動き出したことを教えてくれる――。 目も耳も不自由な盲ろう者の加賀明音(あかね)さん(23)の一日は、こんな風に始まる。

だがコロナ禍によって、日常は突然奪われた。 外出自粛やソーシャルディスタンスで「私の周りから人が消えてしまった」。 孤独と不安が押し寄せる。

加賀さんは生まれつき目が見えず、10代の終わりから徐々に耳も聞こえなくなった。

でも、「自分の世界を広げたい」という思いから、盲学校の高等部を卒業した後、3年前に愛知県の実家を離れた。

大阪市にある全国唯一の盲ろう者向けグループホーム「ミッキーハウス」に移り、他の9人の盲ろう者と共同生活を始めた。

他者と話す手段は「触れること」だ。 共同生活を始めるにあたって、「指文字」や「触手話」といった意思疎通を図る方法を学んだ。

グループホームでは自分にできることを増やそうと、職員らの手を借りて、手工芸などの就労訓練に取り組んでいる。

だが、新型コロナウイルスへの感染リスクを減らそうと、4月からしばらく実家に戻った。 一緒に暮らす母親は働きに出るため、一日の大半を一人で過ごした。

パソコン上の文字情報を点字に変換して浮かび上がらせる「点字ディスプレー」を使って世の中の動きを追うと、オンラインで交流が広がっていることを知った。 一つのイベントが気になった。

住みやすいまちづくりなどに取り組む市民団体の「野毛坂グローカル」(横浜市西区)が、5月1日に開いた「新型コロナで取り残されそうな人」というテーマのオンライン勉強会だ。

「盲ろうなので、文字のやりとりで参加させてもらえませんか」。 開催前日、勇気を出して代表者にSNSでメッセージを届けると、参加者の発言や会場の雰囲気を文章にして送ってもらえることになった。

勉強会で学んだのは、様々な人々が取り残されているコロナ禍の現状だ。 パソコンを使えない高齢者や障害者、必要な医療を受けられない貧困層。 多くの人が助けを求められずに孤立していると知った。

コロナ下、誰かのため一歩

自身を振り返った。3歳から習ったピアノや、中学2年生から習い始めてジュニアオーケストラにも所属したフルートは、耳が聞こえなくなり、周りと音を合わせられなくなって諦めざるを得なかった。

読書や勉強は大好きだったが、盲学校ではだんだん先生の話を聞き取れなくなり、授業についていけなくなった。

誰もが自然に「助けて」と言い合える社会になれたら。 そんな思いをつづった作文は、同団体が「誰ひとり取り残さない」をテーマに募った今夏の小論文コンクールで大賞に選ばれた。

《今までに、しかたがないとあきらめたことは何度もあります。 あきらめるしかないと思っていたから。 助けてくださいと言えるようになってから、気持ちがらくになりました。 私も誰かのためにできることがあるのだろうか、考えられるようにもなってきました。》

7月、加賀さんはグループホームに戻った。 世界を広げたい、できることを増やしたい、一歩ずつ踏み出したいという思いは日々強くなる。

一度は諦めた大学への進学も、改めて目標に定めた。 「いつも普通とは違う扱いで、支援は受ける側。 でも私だけでなく、みんなが何かに困っている。 『普通』ってなんなのか。 そんなことを学問を通して考えてみたいです」 そして11月22日、ヘルパーに支援してもらって東京へ向かい、若者らとの交流会に参加した。 (佐藤啓介)

交流会は11月22日夕、東京都武蔵野市で開かれた。 5月に野毛坂グローカルが開いたオンライン勉強会に加賀明音(あかね)さん(23)が参加した縁で、同団体が企画した。 大学生ら約30人が会場やオンラインで参加し、通訳・介助者の「指点字」を通じて加賀さんと語り合う形式で進められた。

加賀さんは、大阪市のグループホームを出発し、武蔵野市の交流会場に着くまでのこの日の「旅路」を振り返って説明した。

午前9時過ぎ、財布や着替え、パソコンなどを入れた四つのカバンを身につけ、持病のためヘルパーに車イスを押してもらって最寄り駅に向かった。 最寄り駅から新幹線に乗る新大阪駅まで電車で20分余り。 でも加賀さんは、乗り継ぐたびに行き先を駅員に伝え、乗降用スロープを設置してもらうなどして1時間以上かかった。 ヘルパーと別れて乗車した新幹線では、多目的室をあけてもらって一人で過ごした。

事故やトラブルを避けるため、鉄道会社とは出発前に綿密な打ち合わせをしていた。 「本当は私もみなさんと同じように、『ぶらり途中下車』みたいなことをしてみたいんですけどね」

目も耳も不自由なら何もできないと思われがちなこと。 自分ができることを相手に理解してもらうのに時間がかかること。 そんな戸惑いも打ち明けながら、「取り残され、不便を感じているのは障害者だけではない。 みんなが関わりあう社会のなかで、私もその一人として参加できるようになればと思う」と語った。

交流会で司会を務めた東京女子大3年の木俣莉子さん(20)は、盲ろう者と向き合うのは初めてだった。 東京駅で加賀さんを迎え、通訳・介助者を介して自己紹介した時は緊張したが、会場まで車イスを押すうちに緊張は解けていった。

「私は障害者への支援を難しく考え、手を差し伸べる勇気が持てなかった。 でも、友達と知り合い、好きになっていくことと同じだとわかった。 相手が困っていることを聞き、できるなら助けてあげる。 それでいいんだなと思いました」

野毛坂グローカル代表の奥井利幸さん(59)は「本当に『誰ひとり取り残さない』社会とは何か、学ぶきっかけを加賀さんに与えてもらえた」と振り返る。

コミュニケーションとは

厚生労働省によると、加賀さんのような盲ろう者は全国に約1万4千人(2012年調査)いる。 東京都盲ろう者支援センターの前田晃秀センター長は、コロナ禍で3密の回避が求められるようになり、他者に触れることで意思疎通を図る盲ろう者は「どう生きていけばいいのか」と戸惑っていると指摘する。

「新型コロナの影響で通訳・介助者の派遣が減り、今も元の5、6割にとどまっている。 状況を把握できずにいる盲ろう者が多くいることを知ってほしい」

東京大学先端科学技術研究センターの福島智教授は、コロナ禍で進むオンライン化に懸念を示す。 「オンラインのやりとりでは表面的な光と音の情報しか伝わらず、コミュニケーションの質がどうしても劣化してしまう」からだ。

福島教授自身、盲ろう者だ。 「指点字」を開発した母親のもとで育ち、周りの人々と意思疎通しながら学問を究め、盲ろう者として世界初の常勤の大学教授となった。 「コロナ禍を、『人間にとってコミュニケーションとは何か』を考える機会にしたい。 そして新しい社会のあり方を、より多くの人々と一緒に考えていけたらと思う」(佐藤啓介)

「産後うつ」打ち明ける場が支え

家族との面会が難しくなった福祉施設入居者や入院患者、インターネットが使えないお年寄りや貧しい人々もコロナ禍で孤立を深めている。

中でも「産後うつ」に苦しむ母親の問題は深刻だ。 横浜市立大学教授の宮城悦子医師らの研究グループが今年9月、日本で妊婦約5千人と今年出産した女性約3千人の計約8千人を調査した結果、速報値で3割以上がうつのリスクが高いと分かった。 コロナ禍前の研究者らの調査では、発症割合は世界平均で10~15%ほど。 コロナ禍の日本は深刻な状況になっている可能性がある。

大阪府箕面(みのお)市の中原光(ひかり)さん(33)も産後うつに苦しんだ。 19年4月に長女・栞(しおり)ちゃん(1)を出産。 だが、なかなか母乳を飲んでもらえず、焦りが募った。 3時間おきの授乳で睡眠は足りず、疲れも取れなかった。

退院後は栞ちゃんと2人で吹田市の実家へ里帰りした。 だが、母親と育児の方針ですれ違い、落ち込んだ。 栞ちゃんが体調を崩すたびに「私が悪い」と思うようになった。 産後2週間健診でうつの可能性を指摘されたが、「認めたくない」という気持ちから専門医の紹介を断った。 栞ちゃんの泣き声がしても体が動かなかったり、栞ちゃんがかわいいと思えなかったりした時期もあった。 箕面市の自宅から会社に通っていた夫は実家に移って付き添った。 約1カ月後、中原さんは自宅に戻ると、症状が和らいだ。 だが、「元に戻るのでは」という不安は消えない。

中原さんの心の支えになっているのは、乳幼児を育てる母親と助産師が交流する「キューズ子育てつどいのひろば」だ。 ショッピングモールにあり、今年7月、散歩中に偶然見つけた。 乳幼児と母親でにぎわう空間に足を踏み入れると、助産師から「初めてですか」と声を掛けられた。

気になって数日後に再訪すると、スタッフから「この子は体幹がしっかりしている。 いい育て方をしていますね」と褒められた。 子育てで褒められたのはこの時が初めてだった。 「私と娘を受け入れてくれる場所」と感じて、胸にしまい込んでいた悩みを打ち明けた。 以来、栞ちゃんを連れて毎日のように通った。

「ひろば」を運営するのは助産師らでつくる合同会社「みのおママの学校」だ。 新型コロナ対策のため、12月上旬から休止中だが、SNSで交流を続けている。 「みのおママの学校」代表で助産師の谷口陽子さん(46)は「母親は子育て期に孤立を感じやすい。 でも、『しんどい』と訴えたら、手を差し伸べてくれる人は必ず周りにいます」と強調する。

産後うつに詳しい昭和大学横浜市北部病院の加藤明澄(あずみ)医師(産婦人科)は、「女性は出産後、ホルモンの影響で精神的に不安定になりやすく、授乳や寝かしつけがうまくいかなかったり、他人の子育てと比べて焦ったりした経験が重なると、うつの引き金になると指摘する。 「本人から助けを求めるのは難しい。 周りの人が母親の不安を理解しようとし、寄り添うことが大事」

産後うつは、出産した病院や各地の保健所、助産師会で相談できる。 助産師会の相談窓口一覧は日本助産師会ホームページに掲載されている。 (土屋香乃子)

加賀明音さんのメッセージ

人に助けを求めることができるようになるまでに、長い時間がかかりました。 できないことがあるのは、私の努力がたりないからだと思っていました。 私が悪いんだって思っていたから。 あきらめなければならなかったこと、たくさんありました。 でも…。

朝起きても、周りは真っ暗。 鳥もなきません。 ぴぴぴとならないめざましどけい。 でもカーテンを開けたら、ちゃんと暖かなおひさまがあるんです。

車椅子に伝わるがたがたという振動。 顔に当たる風。 夏の夕方の風、秋のきんもくせいの香り。 春のさくら、そして屋台の食べ物の匂いが大好きです。

世の中には、ラインなんていう便利なものがあるらしい。 最近はどうぶつの森というゲームがはやっているらしい、とか。

私には、周りの様子がまったく見えなくて、そして人の声もきこえません。 視覚と聴覚の両方に障害のある盲ろう者です。 毎日、手からの情報で世界を確かめています。

コロナウイルスのかんせんの拡大を防止するために、人と人とが距離をとるようになりました。 私は見えなくて聞こえないから、触れていなければ人がいることがわからない。 だから、私の周りから人が消えました。

みんなは今なにしてるのかな、そんなことを考えながら続けるステイホーム生活。 少し気をぬくと、朝なのか夜なのかわからなくなってしまって大変です。

最近増えた、オンラインでのイベント。 興味があっても、一人では内容を知ることができません。 コロナじゃなかったら誰かに来てもらうことができる、そうしたらいろんなことがわかるのに…イベントの情報を知るたび悲しくなることばかりでした。

5月1日のイベントでは、今やっていることがわかりました。 これが、参加できてるっていうことなんですね。 久しぶりに人とつながれている気がして、じわじわ、嬉(うれ)しくなりました。

今までに、しかたがないとあきらめたことは何度もあります。 あきらめるしかないと思っていたから。

助けてくださいと言えるようになってから、気持ちがらくになりました。 私も誰かのためにできることがあるのだろうか、考えられるようにもなってきました。

最初からなにもかもをかんぺきにするのは難しいです。 けれど、みなさんと同じように買い物にいきたい。 みなさんとお話がしたい。 学校へ行きたい、学びたい。 興味のあるイベントにきがねなく参加できるようになったらいいのになとか。 やりたいことはそんなことです。 私も頑張って、たくさんの人から少しずつ力を借りることができたら…あきらめなければ、夢と可能性はきっと広がります。 だから毎日、声をあげ続けています。

『私たちは今、取り残されています。 あなたの力をほんの少しだけ、かしてもらえませんか?』

(「野毛坂グローカル」の小論文コンクールへの提出文)




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