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盲ろう者が集まって活動する場「すまいる」。
当事者がどんどん外に出て、社会に働きかけたい
          ――門川紳一郎さんに聞く


視覚と聴覚の二つの障害がある人は、全国に約2万人といわれる。 大阪市内にあるNPO法人「視聴覚二重障害者福祉センターすまいる」(以下「すまいる」)は、 盲ろう者の人たちが集い、仕事をし、情報交換し、そして憩う場だ。ある一日、そんな「すまいる」を 訪問し、理事長の門川紳一郎さんはじめ、スタッフやメンバーのみなさんに話を聞いた。


指点字、触手話、手書き文字でコミュニケーション


キッチンも備わった広々とした「すまいる」の活動スペースに、この日の午前中は 大きめのテーブルが6つあまり並んでいた。こちらのテーブルでは太めの糸を使って マットが手織りされ、あちらではカラフルな布で小物が作られていく。手作業の合間、 触手話や指点字を使って話に花を咲かせる、にこやかな表情の盲ろう者の人がいた。 和気あいあいとした雰囲気で、とても居心地がよさそうだ。 「盲ろう者のメンバーは17人なんですが、今日来ているのは13人ですね。 ボランティアやガイドヘルパーの方が10人、職員も8人ほどいますので、全部で30人ぐらいかな」


そう話すのは「すまいる」代表の門川紳一郎さん。制度上、「すまいる」の事業は 障害福祉サービス事業の就労継続支援B型と居宅介護等、介護保険事業の 訪問介護などに分類されるそうだが、「それよりもまず、盲ろう者が日常的に ″集い、憩える場″でありたいんです」と語る。 「盲ろう者は、たとえ家族であってもコミュニケーションが難しい場合が多々あります。 外出も簡単ではありませんし、余暇をどう過ごしていいのかもわからないし、 テレビを見たり、ラジオを聞いたりできないので、情報も入手しにくいんです」


日本には今、視聴覚の二重障害がある人は約2万人いると推計されるが、 ヘレン・ケラーのことは知っていても、これまで身近に盲ろう者と触れ合う機会がなかったという人は 多いだろう。


また、ひと口に盲ろう者といっても、まったく見えずまったく聞こえない「全盲ろう」、 まったく見えず少し聞こえる「全盲難聴」、少し見えてまったく聞こえない「弱視ろう」、 少し見えて少し聞こえる「弱視難聴」の4タイプに大別され、さらに、生まれつき視力と聴力に 障害があった人、幼少期や成人になってから徐々に失っていった人など、一人ひとりが抱える事情は さまざまだ。そのため、習得しているコミュニケーション方法にも違いがある。


門川さん自身は、視力は生まれつきほとんどなく、聴力も4歳で聞こえなくなり、視覚と聴覚の 二重の障害がある。取材時には「すまいる」スタッフの藤井明美さんが、門川さんの指を点字タイプライター のキーに見立てて直接たたく「指点字」や、門川さんの発声を復唱するなどして通訳をしてくれた。


「すまいる」のメンバーやスタッフ間のコミュニケーション方法も、多様だ(15ページ表参照)。 指点字のほか、手話をする人の手を触ってその形から読み取る「触手話」、手のひらに文字を書く 「手書き文字(手のひら書き)」など、それぞれの人が自分に合った方法を用い、実ににぎやかに、 おしゃべりを愉しんでいる。



当事者が通訳・介助者と
         ペアになり全体ミーティング


昼食をはさんで午後からは、月曜と木曜に行われる「午後のミーティング」が始まった。


正面には本日の司会者、中本謙次さん(副理事長)。その隣にはこの日の中本さんの通訳者でもある 石塚由美子さん(事務局長)が座る。中本さんと石塚さんの会話は触手話だ。この二人に向き合うようにして、 当事者メンバーが通訳や介助パートナーとペアになって座っている。中本さんほか参加者が手話で表現したことを、 読み取り通訳が音声にする、それを別のスタッフがパソコンのキーボードをすばやくたたいて大型の液晶画面に 大きな文字として映し出す。そうすると、わずかにでも視力が残る弱視の人は自分でその文字を読むことが できるからだ。また、各メンバーの通訳・介助者は、司会者や司会者の通訳の手話を見て、それをペアに伝える。 このようにさまざまな表現方法を駆使しながら、ミーティングは進んでいく。 「駅ではタッチパネル式の券売機が増えてきて、盲ろう者が切符を買うのが難しくなってきたように感じる」と 門川さんも手をあげ、最近気になった出来事や盲ろう者にかかわる最新の情報などを細やかに報告。 他のメンバーからも「来週は堺市のイベントに参加しますが、集合時間は10時で」など行事の連絡や 報告が続いた。このほか、みんなで料理を作ったり、季節のイベントを楽しんだりと、行事予定はつねに 盛りだくさん。


また、木曜日と土曜日には、テレビや新聞で取り上げられた情報をシェアする「ブエノスディアス」と 題したサロンが開かれる。これは、自宅でニュースに触れる機会の少ない多くの会員がとても楽しみにしている 人気企画だそうだ。


また、働きたいと言う若い人の就労支援や、居宅介護、当事者やその家族の相談なども行う。 さらに盲ろう者がパソコンを使ってもっと簡単に情報の入手や発信ができるようにと、エンジニアの協力を得て、 メールの送受信やインターネットアクセスのためのソフトウェア「イージーパット」を開発した。 会員だけでなく多くの人に使ってもらいたいと、ホームページ上で無料配布中だ。 さらに、点字を使って携帯電話のメールを送受信するシステムも完成させるなど、IT面にも力を注いでいる。



当事者の意見や気持ちを尊重、
   「生きてきてよかった」と思える活動したい


ここに来れば誰かと話ができ、世の中の情報に触れられる――。 「すまいる」に集う人たちは、それが大きな喜びになっていると門川さんは言う。 「僕は高校まで盲学校に通っていたのですが、音も聞こえないので周りに誰かがいてもその コミュニケーションの世界に入っていけませんでした。高校卒業後はどうしようかと考えていた時、 盲ろう者として始めて大学生になった福島智さん(※)に会いに行ったんです。 同じ境遇の人との出会いはそれが初めてでしたね。手書き文字での会話は時間がかかり疲れやすいのですが、 福島さんとの会話は、指点字。指点字なら長話もできるので2~3時間ほど話しこんでしまいました。 この時初めて″誰かと話をすることが楽しい″と感じたんです」


誰とも話せない孤独感と、コミュニケーションできることの喜び。そのどちらも経験した門川さんは、 持ち前の行動力を生かして大学卒業後に日本を飛び出し、米国の大学と大学院でアメリカ手話や 米国のろう文化を学んだ。日本での学生生活では「ボランティアで通訳をしてくれている人に気兼ねをする ことがあった」というが、米国では授業の通訳やレジュメの点訳、ノートテイクなどがすべて大学の全額費用負担で サポートされており、「盲ろう者が授業を受ける権利が保障されていると感じました。 ニューヨーク大学のキャンパス内や街のなかを歩いたり、地下鉄やバスで移動できるように 大学側から歩行訓練も提供されて驚きました」と話す。


そんな生活を体験した門川さんは、帰国後のしばらく経った1999年、「当事者で ある盲ろう者が主導権をもって運営し、その意見や気持ちを尊重した活動をしていきたい」と、 支援者もメンバーの「大阪盲ろう者友の会」から独立して、「すまいる」を立ち上げたのだった。


09年度から日本でも、「盲ろう者向け通訳介助員派遣事業」が各自治体に義務づけられるなど、 盲ろう者の通訳や介助における公費での支援が進んだ。「今では米国より日本のほうが福祉が手厚い面も 少しあるのですが、一定の通訳技術をもった介助員の数はまだまだ足りません。交替でサポートして もらうことを考えると、1人の盲ろう者に4~5人が必要なんです」


門川さんの体験を生かし、「すまいる」はどんどん外に出る。「外に出ていくことで、 いろいろな物事にふれることができ、世の中がどうなっているのかがわかります。 同時に、私たちの存在も知ってもらえる。世の中を変えていくというと大げさですが、 盲ろう者が何を必要としているのかを伝えるために、社会に働きかけるということも大事な 活動の一つだと思っています」


年に一度の一泊旅行で、昨年はバスをチャーターして福井にまで足を伸ばした。当事者や ボランティア、スタッフが一緒になって取り組む和太鼓クラブも積極的に演奏会に出演する。 このような企画も、ミーティングでアイディアを出し合って決めていく。


しかし「すまいる」のような当事者自身が主導する当事者のための活動の場は他にはない。 「これまで熊本や三重から来られた人もいましたが、遠くから通うのは大変なこと。でも、 こういう場所がもっと身近にあれば、誰かと話したい時、情報交換したい時、来たい時に来ることが できる。どこに住んでいても盲ろう者がいつでも憩えるよう、「すまいる」の支部を各地につくって いけたら・・・・。そして、「ここに来てよかった」「生きてきてよかった」と思ってもらえたら嬉しいですね」

※東京大学教授。専門はバリアフリー教育、障害学。9歳で失明、18歳で耳が聞こえなくなり、全盲ろうとなる。 盲ろう者で初めて大学に進学、教員となった。指点字を母親とともに考案。