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次代を担う
盲ろう者の社会参加を支援する
門川紳一郎さん


全国に少なくとも約1万4000人がいるとされる盲ろう者への福祉・教育面での対応は広がってきたが、 多様なコミュニケーション方法による支援が必要なため、他障害と比べても困難は多い。 NPO法人視聴覚二重障害者福祉センター「すまいる」(大阪市天王寺区) 理事長で内閣府の障害者政策委員会委員の門川紳一郎さん(49、光覚ろう)に取り組みや展望を聞いた。(佐木 理人)


すまいるとは?


就労継続支援B型事業として、点字用紙や毛布などで作った小物のバザー出品、盲ろう者へのヘルパー派遣、 パソコン講習会をしています。10人の職員とボランティアで運営し、毎日15人くらいの盲ろう者が府内から 通っています。利用者は50代、60代が主で、月平均8000円ほどの工賃を得ています。


転機は2人の盲ろう者の出会いとか?


高校3年の時、「点毎」で福島智さん(現・東京大教授)が盲ろう者として初めて大学に入った記事を読んだんです。 盲学校の先生に勧められ、会いに行き、大学進学を決意しました。福島さんには政策委員会でオブザーバーとして フォローしていただきました。

もう1人は大学卒業後留学したアメリカで出会った全盲ろうのインド人男性です。14歳で渡米した彼は、 パーキンス盲学校の高等部で学んでいました。パソコンが得意で、盲導犬を使って1人でどこへでも行く行動力に 刺激を受けました。そして、障害者自身が判断し、自己責任で社会参加を目指すアメリカの考え方に感銘しました。

帰国後、大阪盲ろう者友の会の代表を2期務めましたが、障害者運動的な色が強かった。もっと緩やかに誰もが参加し、 毎日活動や仕事ができる場を作ろうと99年に立ち上げたのがすまいるです。名称には「みんなで毎日笑顔で生きていこう」 との願いを込めました。


日本の盲ろう者の現状は?


福島さんや私が大学生だった30年ほど前より幸せではないでしょうか。 大学や盲学校で理解ある支援を受けながら学べ、全国で通訳・介助者派遣事業が実施されているからです。

一方、一向に改善されないのは就労です。採用条件で自力通勤を求められたりするためです。 職場でのコミュニケーションも問題です。すまいるでは働きたい人を積極的に支援したいと考えています。 就労は特技を生かすことでもあるので、さまざまな活動の中でできることを増やし、職域を広げたいです。

社会の制度や認識も変える必要があります。ほとんどの盲ろう者が歩行訓練を受けておらず、 通訳・介助者はまだ少ない上、利用場面や時間に制限があり、思うように出かけられません。 私は少し見えていた頃、スポーツ施設の単独利用を門前払いされた経験があります。 その時痛感したのは、盲ろう者のことを身近に感じてもらわなくてはならないということでした。 政策委員会で意見を述べるのはもちろんですが、指点字通訳を受ける姿をいろいろな人たちに 見てもらい、盲ろう者の存在を知ってもらう役割も重要だと実感しています。


盲ろう者を巡る今後の展望は?


盲ろう者にとって社会がどうなるかは盲ろう者次第です。それなりの教育を受け、制度もあるのに、 やりたいことがなく、家にこもっている盲ろう者は多い。すまいるでは、国内外からの講師による 講演会や学集会を通して多くの情報を伝えるようにしています。それを基に各分野で明るく活動する人が増えてほしいです。

若手の発掘も課題です。若い人は東京周辺に集中しています。横のつながりを広げ、人材を見つけたいです


活動により考えが変化したとか?


できることは自分の力で実行するというアメリカの考え方を日本の盲ろう者でも実践しようと活動してきました。 しかし、当事者だけでは限界があり、いろんな人の協力が必要と感じるようになりました。 昨年のすまいる創立15周年記念イベントには500人余りの参加がありましたが、いまだに障害者関係の人が大半です。 地域の行事などへの積極的な参加が啓発になり、支援者や盲ろうの仲間が増えればと考えています。 私も多くの人に支えられてきました。つながりは宝です。さまざまな人を巻き込み、盲ろう者が前向きに生き生きと過ごせる支援をしたいです。


プロフィール


大阪市出身。生まれつきの弱視で5歳の頃、猩紅熱で失聴。桃山学院大卒業後の89年、ヘレン・ケラー・ナショナルセンターに留学し、 聴覚障害者対象のギャローデット大を経てニューヨーク大で修士号取得。月1回、マラソングループで汗を流す。 大阪市内で1人暮らし。