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私の一言 盲ろう者だってみんなと学びたい!

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障がい者制度改革推進会議・構成員/
NPO法人視聴覚二重障害者福祉センターすまいる 門川紳一郎(かどかわしんいちろう)


 私は物心ついた時にはすでに視覚に障害があり、幼稚園に通園していた時にかかったはしかが原因で、聴力まで失いました。幼稚園時代は近所の幼稚園に、一つ下の妹と一緒に楽しく通っていました。そして、地域の小学校へ入ろうと適正検査を受けに行きました。この小学校には弱視学級があり、家族みんなが私をこの小学校へ入学させたいと願っていました。ところが「なにやら答案用紙のようなもの」を受け取るために、他の子どもたちの列の後ろに並んでいたのですが、やっと自分の番になってもそれを私にだけは渡してもらえませんでした。後になって知ったのですが、係の人からの質問に、きちんと答えていなかったようで、その時に「聞こえていないのでは」と聴力を疑われたようです。
 結局、地域の小学校へ入学できませんでしたが、教育委員会の紹介で大阪市立盲学校を訪ね、小学部の先生との話し合いの結果、同校高等部普通科を卒業するまでの十二年間を盲学校で学びました。
 さて、盲学校では、基本的には先生と私だけの「一対一」での授業がほとんどでした。一対一の個別授業は、最初のうちは孤独感に苛まされ、授業の時の教室がみんなとは別だったため、仲間はずれにされるなどといった「みえないいじめ」に遭うことも度々でした。
 当時、私のような生徒にどのように教えたらよいのか、教育方法さえ未開発だったのです。今のように、「通訳者同伴」をおもいつくことさえありませんでした。したがって、他の級友と一緒に学ぶことすら難しかった時代でした。
 ところで、学校という環境は、国語や算数のような基本教科を学ぶ場なのでしょうか。それだけならば、個別授業に重きを置くのもやむを得ないかもしれません。しかし、本来、学校という環境は「人間性を養い、社会人としての知識や教養を身につける」ための場であるはずです。そのためには、級友をはじめ、学校内外での人間関係を培うことが大切ですし、また、学校帰りに地域で遊ぶ相手がいるかいないかも、その生徒の将来に大きく関わってきます。
 「みんな違って、みんな一緒」。これは国連障害者の権利条約、とりわけ「第二四条 教育」の分野において、インクルーシブ教育の推進の理念となっています。つまり、学校教育をはじめとする「学ぶ場」は、障害の種別や民族等、個々の違いはあっても「みんな一緒」であるのだということです。
 地域の普通学校で学ぶことを基本としながら、盲学校のような特別支援学校との連携を保ちつつ、学校が楽しいと思えるような教育環境づくりを目指したいものです。盲ろう者だって、みんなと楽しく学びたいものです。