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門川理事長、国連障害者の権利条約に関する
第8回アドホック委員会に出席


2006年8月14日~25日、アメリカ・ニューヨークにある国連本部で、 国連障害者の権利条約に関する第8回アドホック(特別)委員会が開催され、門川理事長が出席されました。



<写真:世界ろう連盟の会長と触手話で話す理事長>


<写真:会場の様子>



<写真:国連本部の外観>




この条約は障害者に焦点をあてた、21世紀最初の人権条約です。

その歴史は2001年にさかのぼります。2002年から2006年まで、条約を検討するためのアドホック委員会が計8回開催されました。

初回数回の委員会では障害者が会場に来ても冷たく扱われたり、発言を求める障害者団体が退席させられたりということもあったそうです。しかし、第2回アドホック委員会後、各地域を代表する政府代表と障害者団体で構成された条約の作業部会が設置されました。

これが大きな転機となり、障害者団体は「Nothing About Us Without Us:我々のことを我々ぬきで決めないで」というスローガンを掲げ、この条約が真の意味で障害者のためとなるよう取り組みを続けてきました。



<写真:会場の様子>



<写真:世界盲ろう者連盟会長(当時)のレックス・グランディア氏と理事長>




このアドホック委員会は公式協議と非公式協議とにわけられました。公式協議では条約の条文案について意見を述べたり、採決をとったりし、公式協議で同意が得られず、採択にいたらない場合は、非公式協議を行います。非公式協議では、意見や主張の異なる国が小さなグループで個別に集まり、なんとか合意にいたることができるように話し合いをします。

2週間という長丁場の委員会でしたが、後半はこの非公式協議に時間があてられ、会議といっても座って話を聞いているより、非公式協議の合意を待っているほうが長いという、変わった会議でした。

条約は国と国との法的約束のため、条約に賛成するか反対するかの決定権を持つのは政府です。そのため、委員会で発言ができるのも政府代表だけです。しかし、この条約は障害者に関するものです。条約に障害者のニーズが反映されていない場合には、障害者団体が国境を越えて団結し、自分の国だけではなく、障害者にとって不利益な提案をしている国々に強力に働きかけました。

各国政府代表と障害者団体の働きにより、無事この条約草案は第8回アドホック委員会で採択されました。



<写真:国連障害者の権利条約が採択された瞬間>



この条約では「盲ろう deafblind」という用語が明記されています。さらに、deafblindという用語もdeaf-blindというハイフン付きから、deafblindと表記が変わりました。つまり、盲ろうが独自の用語、さらには障害として認められたということを示しています。


第8回アドホック委員会で採択された条約草案は、2006年12月13日に開かれた第61回国連総会で採択されました。

2007年3月30日には、ニューヨークの国連本部において署名式が行なわれました。最初の批准国となったのは、ジャマイカです。署名をしたのは視覚障害を持つ国務大臣でした。

日本は2007年9月に条約に署名し、2014年1月に批准しています。


第24条 教育
(c) 盲人、ろう者又は盲ろう者(特に子どもの盲人、ろう者又は盲ろう者)の教育が、その個人にとって最も適切な言語並びにコミュニケーションの形態及び手段で、かつ、学業面の発達及び社会性の発達を最大にする環境で行われることを確保すること。
「川島聡=長瀬修 仮訳(2008年5月30日付)」



<写真:国連のギフトショップ>



<写真:国連旗と理事長>