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スピーチ

理事長の発表原稿


「ネパール・日本盲ろう国際セミナー」

「日常生活活動と盲ろう者」
社会福祉法人全国盲ろう者協会評議員 門川紳一郎

ナマステ。先ほど紹介いただきました門川です。最後のセッションなので、皆さんだいぶお疲れで、眠くなっているところだと思いますけれども、どうか最後までおつきあいよろしくお願いします。

僕は盲ろう者です。小さい時からの、厳密にいうと、4つぐらいからの盲ろう者で、今は、今現在は視力は少し、聴力は全くありません。小さい時から、4つの頃に高熱が原因で聞こえなくなったということで、発声が非常に難しくって、今こうやって僕の声を隣で復唱してもらっています。それから、僕には他に今日は指点字による通訳者がいます。その通訳者には皆さんの様子とか、話言葉とかを伝えてもらいます。

ところで今回このネパールというすばらしい国に、私たち全国盲ろう者協会としては初めてきました。まだ、今日で3日目ですけれども、すでに僕自身の頭の中で混乱がありました。それは何かというとですね、モモということを聞いてですね、このモモというのは日本語でもあって、日本語では果物のピーチを意味するものなんですけれども、実はこのモモですね、昨日どこを訪問した時だったか、今はもう定かではないんですけれども、ある人がももを10個食べていると聞いたので、「えー」と思って驚いたんです。ところが、昨日の夜にですね、みんなで夕食を食べに言った時に、そこでもモモとを言うことで、「えー、ももをまた。果物の桃を最初から食べるわけないだろう」と思っていたら、なんとそれは、モモというのはショウロンポウのようなものでした。そのモモとてもおいしかったです。好きになりました。このように、最初聞いたけど何のことかわからず、味わってみて初めて知ったということなんですが、ちょっと僕の中では混乱しちゃいました。日本語でもあり、同時にネパールの単語でもあったということで。

ちょっと前置きというのか、つまらない話が長くなってしまったんですけれども、簡単に自己紹介をしてから、今現在、僕が理事長として活動を展開している盲ろう者の施設についてご紹介したいと思います。

僕は幼稚園は一般の幼稚園に、一つ年下の妹と一緒に通っていましたけれども、その後はたらい回しされた結果、盲学校にですね、僕は日本の大阪と言うところの出身で、大阪というところの育ちですが、その大阪の盲学校に入学し、12年間、高等部3年までいました。最初から盲学校に入ろうと考えていたわけじゃなくて、ふつうの学校も聾学校も断られて、盲学校が拾ってくれたということです。

盲学校では勉強の方法は先生と僕の二人でパーソンtoパーソン形式で授業を受けました。国語とか算数とか理科とかそういった、必須科目に関してはこのようにパーソンtoパーソン形式だったのですが、それ以外のHRとか体育とかそういったものは他の学年、同じクラスと一緒でした。で、その先生との二人だけの教室の中での二人だけの授業でしたから盲学校以外はすごくつまらなかったと今でも思い出すことができます。

でも、僕自身が好奇心がかなり強かったこともあったんだろうと思うんですけれど、周りのことが、周りの子供たち、仲間たちがやっていることに興味があって、そのみんなと一緒に活動したいと言う気持ちが強く、一緒に何かを常にやっていたと思います。

例えば、その当時、日本ではプロ野球盛んな時代だったんですね。盲学校でも例外ではなくて、野球をやる連中が多く、昼休みや放課後にバッドとかボールとかベースとか持ち出してプレーをやっていまいた。今、野球の写真を写しますので、みていただければ。視覚障害のスポーツですね、日本では「グランドソフトボール」言っていますけれども、ベースボールのことですが、大変さかんでした。この野球のルールはですね、ピッチャーとそれから外野手などは全盲でなければならない。それ以外は弱視の人が守備についたりすることができますが、僕の場合はみることも難しいし聞くこともできないしで、どの守備にもつくことができませんでした。視覚障害者の野球はボールなどの音を頼りにプレーするので、聞こえない僕には、また、見えない僕にはやりたくてもなかなか入っていけないスポーツだったんです。

でも、根気強くみんなの後をついて、この野球に親しみをもち続けていると、そのうちみんなが僕を仲間に入れてくれようとする姿勢がみられるようになってきました。例えばですね、ボールは白いハンドボールのようなものを使うのですが、白では見えないからこれを黒にしてくれっていうふうにお願いすれば黒にしてくれたり、です。最初は難しかったですけれども、野球というのはチームプレイ、チームプレイというのはコミュニケーションの上にたつチームワークが基礎となっているので、周りの人との連携を広めることができて、大変良いスポーツと思います。この野球の仲間とは今でも交流があり、野球というのは人間関係には大変大きく影響するスポーツでもあると思いました。野球ほどではなかったですが、サッカーとかゴールボールとか、そう言ったチームプレイなどを通じて盲学校でも楽しくやっていことができたと思います。

その当時の、つまり盲学校時代の僕のコミュニケーションの方法というと、手のひらに仮名文字、アルファベットとかそういったものですね、それを書いてもらって読むという方法でした。でも、中には先天性の視覚障害者の人がいて、そう言う人たちの中には、普通の書く文字をまだ理解できていない人もいたので、彼らとは点字を通じてコミュニケーションをとってました。

盲学校時代は野球なんかを中心になんとか乗り切ったわけではあるんですけども、実は福島さんも言っていたかと思うんですが、目も見えず耳も聞こえないっていうのは、自分一人だけとずっと思いこんでいました。ですから、先輩たちなんかには「耳を治すようにしないと将来がないぞ」とか、また先生には「補聴器をつけてこい」とかそんなこと言われました。なんとか、野球にしがみついて、乗り越えた盲学校時代だったかと思います。

その後、福島智さんと出会うことができました。二つのことがきっかけだったんですね、福島智さんとの出会いは。一つは、福島さんが日本で初めて盲ろう者として大学生になったというニュースを知ったこと。もう一つは、僕自身がその当時全国盲学校弁論大会に出たということ。この2つが不思議に結びついて、出会いが生まれた。で、彼と出会って指点字なるものを知りました。今使っているこれですね。

それからその後、他の盲ろう者が集まってくるようになり、気がついたら、コミュニケーションで一番苦労されているのが、元々ろうだった人。ろうから盲ろうの状態になった人たちで、手話をベースにコミュニケーションをとる人たちでした。

じゃあ、ちょっと、手話に触れて、相手の手話ですね、聴覚障害者の手話を手で触れて読むという触手話といいます。これは世界中のほとんどの国で使われています。で、ここのスクリーンにでているものは日本の手話ですね。日本手話を手で触れて読み取っています。で、こんな風にして、(停電)。

停電は僕たちには関係ないですけれども、停電が発生するとプロジェクターとたんに落ちてしまいますね。困りますね。

手話を使う盲ろうの人が盲ろう者全体の半分以上いるという・・・。これはまずいなあと僕も手話を覚えて、盲ろう者の文化とコミュニケーション、盲ろう者自身とコミュニケーションが取りたいということで、手話を身につけようということで、覚え始めました。今ではほとんどの盲ろう者と1対1で直接コミュニケーションがとれるようになれるまでいろんなコミュニケーションの方法をとれることができたかなあと思っています。

今現在、僕は盲ろう者のためのなんといいますか、デイサービスを提供する活動を行なっています。ここでやっていることを簡単にご紹介したいと思います。非営利団体なんですけれども名称は長いので、愛称をニックネームをすまいるとしています。

やっていることは、例えばですね、盲ろう者みんなで楽しい活動をするということで、年に最低1回は旅行に出かける。これは親睦を深めることが目的です。それから次に、情報交換をメインとした、なんといいますか、ミーティングの場を設ける。あと毎日の出来事とかみんな情報に飢えているんですね。知りたいことをみんなで共有しあう。テレビとかラジオとか雑誌とかそういったメディアにアクセスが難しいですから、毎日何が起っているのか知りたいっていう好奇心の強い人がうちには多いので、情報交換をしています。

それから、文化活動として、週1回和太鼓をやってます。その他、毎日お昼ご飯はですね、盲ろうの人たちと一緒に献立を決めて、盲ろうの人たちと一緒に調理をして、そのできあがった理をみんなで食べています。

それから、まだまだあるんですけれども、主なものとして軽作業ですね、色々なものを手作りして、それをバザーとかで売っています。今日こちらにですね、すまいるの盲ろう者が手作りした作品、鍋敷き、鍋とか熱いものとかなんでも置くためのしきものですけども、そういったものを持って来ていますので、プレゼントができたらと思っています。

あとはですね、まじめなこととしてはパソコンのメールの送受信の勉強会も行っています。盲ろう者がメールとかができるようになると、自分でコミュニケーションとりたい相手と直接にコミュニケーションがとれるようになり、人間関係も豊になっていくと思います。

主なものを、主な活動内容をかいつまんでご紹介させていただきましたけれども、このすまいるの運営は非常に大変です。運営費の経済的な補助がないからです。しかし、盲ろう者たちにはいきいきとして活動ができる場がないので、このすまいるのような活動の場をモデル的に発展させていきたいと、今は募金を集めることに力を入れています。

ネパールにも盲ろうの子供から大人までたくさんの方が存在します。ですから、彼らにも生き生きと活動できる場が1日もはやくできれば良いなぁと願っています。長くなっちゃいましたけれども、時間もオーバーしてしまいましたので、これで終わりたいと思います。カマルさんありがとうございました。